Gorah's Wings

True Self True Life  今目覚めの時

人はどこかの時点で生きなおすことを願うのか? -韓国発「私の夫と結婚して」を見てー

最近忙しくて、ア○○○プライムにご無沙汰していました。

 

体調を崩して養生して、回復してくると、

 

寝ているのがつらくなる。

 

そこで閃いて、何とかプライムで面白そうなビデオを探すことに。

 

しばらく見ないうちに、いろんなものが出ているなとと眺めていると、

 

ふと目に留まったのが、「私の夫と結婚して」という韓国原作の小説をドラマ化したものでした。

 

16話まであって、まだ途中のようですが、

 

毎週、新しいものが配信されています。

 

(ここからネタバレ注意!!)

 

最初の描写から、はかない病気に伏せる女性。

 

さいころから周囲に翻弄され、周りに期待される生き方をしてきて、

 

我慢と忍耐の人生を送ってきたけれど、

 

最終的に信じていた人から裏切られて殺されてしまうことに!

 

しかし、目覚めた時に、なぜか過去に戻っていて、

 

そこから、同じ過ちを繰り返さない人生を生きることを決意する。

 

決意通り、見違えるような生き方に変わっていく。

 

周りの期待に応える生き方ではなく、自発的な生き方に。

 

外見もどんどん美しく生き生きとした姿に変わり、

 

いい友人やパートナーにも恵まれるようになる。

 

この女性の昔の人生を見るにつけ、

 

「これ、昔の私じゃん」と途中で気づいたのでした。

 

地味で、おとなしくて、自分の意志がなくて、

 

理不尽なことにも抵抗せず、ただ受け入れるだけ。

 

これでは、苦しいだけの人生です。

 

ワクワク感はないし、何のために人生があるのか、希望が見えません。

 

さいころの心の反応は、その多くは親などの

 

身近な周りの大人とのコミュニケーションで形成されると思うのがですが、

 

そこに何らかの障害があると、うまく情緒が育たないのかもしれない。

 

不安定な情緒は、その後の人間関係に影響を及ぼすのだろう。

 

だから彼女は、仲良くする相手を間違えてしまったのでした。

 

生きなおしの人生で、彼女は見事に自分の人生を手にした。

 

もしかしたら、人はみな、どこかの時点で、

 

無理だという気持ちと裏腹に、生きなおしたいと考えてしまうのかもしれない。

 

おそらくドラマのように、死んだら過去に戻っていたという、都合のいいことが起こるはずはなく、

 

現実に打ちひしがれるのだろう。

 

でも、そういうミステリーな現象が起こらなくても、

 

人はその気になれば、自分を取り戻せると私は思っている。

 

そこには、ルティーンを突き抜けるちょっとした勇気と本気度、決意が必要なのでしょう。

 

残り数話。今後の彼女の行動と選択に期待が膨らむ。

 

 

 

 

人生を生きなおす アデプトプログラム

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支援続々 ありがとうございます

地震から早3週間以上過ぎました。

 

能登の冬は厳しく、金沢市など石川県の南部や県外に続々避難されています。

 

炊き出しや必要な物資の支援、支援金など、

 

県内外からの支援が、毎日ネットニュースで上がってくるので、

 

いつもありがたいなと思って見ています。

 

周りは支援したいのに、

 

また、被災された方々はこんな支援が必要だと思っているのに、

 

情報不足や確認作業で、若干時間がかかっている感じがします。

 

急に起こったことなので、仕方ない部分はあります。

 

臨機応変に迅速に対応をしていると思います。

 

今回の地震で表面化した課題は、次に大いに役立てられることを願います。

 

ナースの救援ボランティアの一般募集は、今日協会関連のところから初めて来たのを見ました。

 

これまでは、先行して県外からなどDMATが支援に来ていました。

 

能登への交通手段や優先順位、受け皿の準備・・・

 

その都度の対応も重要ですが、

 

あらかじめ準備できることは、用意周到にしておくといいのでしょう。

 

海外では、災害時に対応できるボランティアの研修をしているそうですが、

 

日本でもそういうのがあって、一般の人でもすぐに近いところで、

 

支援活動ができる人が多くいればいいのかなと想像します(日本の現状は今どうなっているのかは知りません。より専門的な災害対応の方たちはいますけど)。

 

たとえば、避難所です。

 

沢山の避難所ができますが、避難所の設営はどのようにしているのでしょうか?

 

どういう場所のセッティングをして、何をどうやって、どのくらいの量の物資を調達するのか、

 

早急に搬送が必要な人をどうやって運ぶとか、またはその判断、

 

食事の提供と調達、日々の避難生活の問題の解決・・・

 

想像するだけでもいろいろ出てきます。

 

リーダーは、だれがするのでしょうか? 

 

経験者とか災害に知識のある人がよさそうです。

 

自治体の人もするでしょうが、人数が限られていて、その方たちだけでは限界があります。

 

避難所の人材、組織編成など、被災者でありながら、自分たちで何とかしようとする動きも必要なのでしょう。

 

だったら、被災する前に何らかの知識は欲しいところです。

 

連絡網、通信手段も確認しておきたいところです。

 

能登半島地震で、なかなか被害状況がわからなかったのは、基地局が壊滅的だったからです。

 

連絡が取れないと、救助も遅れることがあるでしょう。

 

今回の通信復旧には、船からに加え衛星通信サービスも使われたようです。

 

 

よく何か支援できることはないかと、友人たちから聞かれますが、

 

今言うとしたら、観光に来てください!と言いたい(*^-^*)

 

キャンセルがたくさん出ているそうです。

 

能登は行けませんけど、金沢(以南)は大丈夫ですので。

 

近江町市場は普通にしてますし、兼六園も。

 

冬の石川(北陸)と言えば、魚の脂がのっておいしいし、

 

雪吊りの兼六園も風情があります。

 

今なら人が少ないので、ゆっくり楽しめそうです(^^)

 

kenrokuen.or.jp

 

そして、この時期の温泉は格別です!

 

ゆっくりくつろぎに来ていただけたらと思います。

 

※旅行割引「北陸応援割」が出るそうです!(1月25日情報)

 

 

 

 

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支援の難しさー能登半島地震ー

元旦早々、大地震に会い、もう4日経過しました。

 

日々、状況は刻々と変わってきています。

 

実家は、すぐに断水となり、

 

週3回人工透析をしている母の病院は、透析ができなくなりました(手術も不可)。

 

これは、災害時あるあるで、透析は水を大量に使うので、

 

水が断水等で使えなくなると、もう透析はできないのです。

 

能登の拠点病院は七尾に二つあり、

 

その一つに通院していたのですが、

 

一方の病院も同じく透析不能となりました。

 

七尾は、震度6強で、被害が大きかったのです。

 

それで、別の病院に紹介してもらって、金沢の病院で行うことになりました。

 

それはそれでよかったのですけど、

 

今まで通院は、近くだったので、自分で運転していたのですけど、

 

紹介された病院は一時間くらいかかります。

 

高齢ですので、送り迎えが必要となり、

 

結局入院させていただくことにしました。

 

しかし、病院の復旧が早く、もう透析を再開するという知らせがあり、

 

元の病院へ戻ることになりました。

 

でも、また、ここで問題が。

 

地震であちこち道が陥没しており、道路の安全確認?とか復旧作業?で通れなくなっているところがあちこちにあります。

 

今まで使っていた道がまだ閉鎖されていて、

 

なおかつ、迂回するにしても、どうやら道路が劇混みのようです。

 

iPhoneのマップを開くと、閉鎖中の道路とか、混み具合がわかるようになっているんですけど、

 

朝方とか夕方とか、真っ赤なんですね。混んでる。

 

こういった状況だと、高齢の母には運転は難しく、

 

行くにしても相当時間に余裕をもって、うまくう回路を利用して行かないと、透析時間に間に合わない。

 

悩ましいことろですが、弟と分担して送迎するしかないでしょう。

 

週3回、行きと帰り、計6回/週。

 

道路が混む理由は、七尾で仕事をしている人に聞いたことろ、

 

道路の閉鎖に加えて、車両の増加にあるようでした。

 

救助車両、物資輸送車両がたくさん増えているそうで(それはそうです!)、

 

車が増えて(一般車両も)、なおかつ、通れる道に車が集中しているからです。

 

私の知り合いが、何人か七尾にいまして、

 

支援物資を送ろうかという話もあったのですけど、

 

この状況では、よほどのことがない限り行かない方がいいかと思い、やめました。

 

車の渋滞で、職場にたどり着けなかった人もいたそうです。

 

市役所に問い合わせたところ、七尾の道はほとんど通っているので、

 

物資は行き届いているとも聞きました(一部孤立あり)。

 

※宅急便は、昨日1/4の時点では、七尾は配送中止中(金沢はok)。

 

個人で動くと、車が多くなり、支援が遅れかねません。

 

結局、今は見守りかなと思っています。

 

問題は、道が閉鎖されて孤立しているところに、物資が行き届いてないことです。

 

現在、自衛隊などの皆さんががやっている最中です。

 

船で着岸して、重機も下ろしているそうです。

 

 

充電や電波の関係、スマホの損失で、所在や状況がお互いにわからないところもあるのでしょうか?

 

輪島にお住いの何人かとも、私は連絡が取れていません。

 

ご無事を祈ります。

 

道は、日一日と、閉鎖が解除されているようです。

 

のと里山海道も金沢-徳田大津まで開通しました。

 

孤立しているところに、必要なところに、速やかに支援が届きますように!

 

のと里山海道の出入り口に住んでいる友人によると、

 

毎朝、救急車などが列をなして出発していくそうです。

 

ヘリも、毎日朝から晩まで(もしかしたら24時間!)、パタパタ飛んでいます。

 

金沢の病院も、どんどん被災した方々を受け入れています。

 

お疲れ様です。ありがとうございます。

 

(1/4-5の状況です)

 

 

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私は無事ですー能登半島地震ー

2024年の今年の元旦は、いつも通り、年の暮れからお寺参りをして、

 

そのあとは白山ヒメ神社に参拝にいきました。

 

お正月のスケジュールを終わらせて、一眠りして、

 

午後から実家の中能登町に帰省しました。

 

氏神様にもご挨拶を済ませ、庭になっていた柚子をのんびり梯子に登って採っていました。

 

しばらくすると、スマホがすごい音量で地震の警報音を鳴らしました。

 

なんだと思って見ると、地震だという。

 

地震と言っても、また大したことないんじゃ・・・と思いながらも、

 

とりあえず梯子を下りて、静かにしていると、

 

遠くの方からゴォーッという地鳴りがして、それがどんどん近づいてきました。

 

えっ?!

 

とたじろいでいたら、地面と共に、目の前の家が大きく揺れました。

 

それが、1月1日16:06の最初の地震でした。

 

M5.5、震源能登地方(珠洲)、震度5強。中能登町で震度3。

 

結構揺れたね、でも大丈夫・・・と思っていたら、またスマホから警報音が。

 

再び、でも先程よりはっきりした地鳴りがすぐに近づいてきました。

 

16:10、M7.6、震源能登地方(輪島の東北東30Km付近)、志賀町原発所在地)震度7

 

中能登町震度6弱を記録。

 

そのまま家の外に立っていました。

 

私自身は倒れそうにはならなかったのですが、目の前の家がどうにかなりそうだったのは誰が見ても明らかでした。

 

すべてのものが、上下左右に何度も何度も繰り返し揺らされていました。

 

屋根の上に設置していたエアコンの重い室外機は、ガタガタ音を立てて、今にも落ちそうになっていましたし、

 

玄関先の大きめの車は、ぴょんぴょん飛び跳ねて、

 

もう少し先にある溝に落ちるのではないかと思いました。

 

そして、家の土台の地面は、ぐるりと一周ひび割れていました。

 

揺れがやっと収まると、家の中から両親が出てきました。

 

幸い無事でした。

 

玄関先から家の中を覗くと、シューラックやシューボックスが見事に倒れ、

 

キッチンにおいては、重い食器棚が倒れ、お皿が何枚も割れていました。

 

壁掛け電波時計は、16:10で止まっていました。

 

本棚も倒れていたし、ピアノも、絨毯はずれていないのに、20cm移動していました。

 

どうやら飛んだようでした!

 

鍵のかかっていなかった窓は全開に。

 

その後も、大きめの地震(震度5)が何度も続き、

 

家が倒壊するかもしれないと、警報が鳴るたびに、家の外に出ました。

 

そうやって、夜は更けていき、そのうち弟家族が帰宅。

 

やっと片付ける気になり、みんなで取り掛かりました。

 

お腹がすいて、みんなでおせちを食べて、

 

満たされたら、そのうち金沢の自宅が気になり出して、

 

のと里山海道地震の影響で閉鎖ということで下道で帰宅しました。

 

能登を脱出する車で、途中混んでました。

 

自宅は、いろいろ落ちて割れて、破片があちこちに散らばり、

 

やっと後片付けをして、布団に入ったのが夜中の2時。

 

大変でしたが、私の地震の被害はこの程度。

 

のちに被害の状況が徐々に明らかになり、地震の猛威を知ることになりました。

 

 

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古代遺跡の人生謎解きの旅

昔から、古代遺跡が好きで。

 

エジプトのピラミッド・アブシンベル神殿、イギリスのストーンヘンジインドネシアのボロブドゥール遺跡、カンボジアアンコールワット、ペルーのマチュピチュ・ナスカの地上絵、マヤのピラミッド、ギリシャパルテノン神殿などなど。

 

海外旅行をするとなると、遺跡は高確率で行っています。

 

どうして自分でもそんなに好きなのか??と思うのですが、

 

世にいう前世でおそらくそこで体験していたのではないか?と勝手に考えています。

 

そして、その遺跡がミステリーに満ちていて、その秘密が何か私たちが気付くべきことがあるのではないかと感じさせるからだと思います。

 

■エジプトのギザの大スフィンクス

この像は、ホルス神ではないかと言われているそうで、全長73.5m、全高20m、全幅19mで、一枚岩から切り出されたものとして世界最大の彫像です。この像は、春分の日のみ、その背後から太陽が昇るようになっています。

 

アブシンベル神殿

アブシンベル神殿中央60m奥の至聖所と呼ばれるところに、4体の神、プタハ神と王の守護神アメン・ラー、太陽神ラー、神格化されたラメセス2世の像があります。この像は、2月22日と10月22日の年二回、朝日に照らされるという現象が起こります。そういう風に設計されて建てられたということです。ただ、プタハ神だけは、冥界の王オシリス神と結び付けられていたためか、他の3体と違って光は当たらないということです。

 

ストーンヘンジ

ソールズベリーというところにあり、巨石が円形に並べられているところです。夏至冬至の太陽や月の日の出・日の入、月の出・月の入がわかるように設計されているそうです。



■マヤのチェチェンイツァのククルカン神殿

春分秋分の日にマヤの最高神ククルカンが天から降臨する現象を設計して建造されました。マヤ文明は、カレンダーで広く知られていますが、驚くべきことに、その正確さは、現代に使われている西洋カレンダーよりも誤差が少ないと言われます。


あちこちに残っている遺跡には、このような仕掛けがされていて、単にカレンダー代わりとしてのみに、これほど後世にまで残るようなしっかりした建造物を作ったわけではないと思います。

 

きっと、その時期を正確に把握して、その時に何かしていたのではないかと推測します。

 

何のために??

 

春分夏至秋分冬至は、地球で起こっていることですが、地球の傾きとか、太陽との位置関係で起こっています。

 

太陽、宇宙とのコネクションの節目ですね。

 

このブログの一番最初は、確か春分の日でした。

 

マヤでは、春分の日が一年の始まりの日だったからです。

 

その頃は、まだよくわかっていませんでしたが、少しずついろんなことがわかってきています。

 

ここでは、公表できないので残念ですけど、あるところにはありました。

 

この物質世界の基盤になるのは、目に見えない世界つまりエネルギーの世界です。

 

その世界を学問にしているのが形而上学

 

物質世界のことだけで理解して、何かをやろうとしても限界があります。

 

見えない世界、エネルギーを扱えるようになって、初めてイメージしていたこと、あるいはそれ以上のことを成し遂げることができます。

 

しかし、そこに人間的な要素は入る隙はありません。

 

この世で生きるジレンマは、これは私だけが感じることではないと思うのですけど、

 

『自分は、これをするために生きているのではない!』

 

という、現実と心の芯からの思いのギャップだと思います。

 

私たちの今生きている現実と思っているものは、本当に現実でしょうか?

 

マトリックス」というわかりやすい映画もありました。

 

オーストラリアの原住民アボリジナルは、私たちが認識している現実は幻で、夢の世界が本物の世界だと信じています。

 

どちらが真実なのでしょうか?

 

あなたが求める真実は、どちらでしょうか?

 

大勢が信じているものが正解という世の中で生き続けるか、

 

自分の心の声に従うか、一人一人に託されています。

 

一人一人にゆだねられてはいますが、

 

私達みんなの未来にも、実は大きくかかわります。

 

一人一人が真剣に自分に向き合う時期が来ているのだと最近よく思います。

 

 

 

 

 

自分、そして世界の真実に目覚めるアデプトプログラム(形而上学入門)

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雨音の風景広がるこの曲

冬本番突入で、寒い雨が今日も降っています。

 

雨と言えば、、、雨の歌と言えば、この曲です。

 

日本人は、秋の虫の声を感じることができますが、

 

外国人には、雑音にしか聞こえないという話があります。

 

そういう音の感じ方の違いが、もしかしたらこの曲にはあるのかもしれません。

 

この曲を聴くたびに、

 

私の記憶にある雨の音は、日本のこちらの曲で、

 

原曲は、西洋(イタリア)の雨なのかなと、想像を膨らませながらいつも聴いています。

 

だから、風景が広がるんですよね、この曲(どちらも)を聴くと。

 

前回の「哀しみのスパイ」のラフマニノフから、ショパンのつながり、

 

「雨音はショパンの調べ」

 

原曲は、1983年にガゼボというイタリアの歌手の「I Like Chopin」というタイトル。

 

世界中でヒットした曲でした。

 

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そして、こちらが小林麻美の歌う曲(1984年)です。

 

ユーミン日本語詞、新川博武部聡志編曲。

 

www.youtube.com

 

 

 

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哀しみのスパイ ー小林麻美〜玉置浩二ー

興奮冷めやらぬ、昨日の本多の森ホール(金沢)でのコンサート。

 

何年か前にも、同じファンである友人と出掛けた。

 

そのコンサートとは、玉置浩二さんだ。

 

最初は、おそらく新しい曲で知らない曲が3曲ぐらい続き、

 

そのあとはだんだん良く知っている曲になっていく。

 

隣にいる友人に、

 

「今日は、あの歌歌うかね?」と期待を膨らませる。

 

あの歌とは、友人とは少しずれているようで。

 

概ね「メロディ」「田園」「夏の終わりのハーモニー」「行かないで」

 

このままずっと、玉置さんの歌を聞いていたい・・・

 

そんな思いをよそに、あっという間に時間は過ぎていく。

 

「メロディー」で涙腺崩壊

 

「田園」で立ってのりのりに

 

最後は、みんなで「夏の終わりのハーモニー」を合唱する。

 

生で歌う玉置さんが目の前にいる、そんな夢のような時間が終わってしまった。

 

余韻を残したまま、次回もまた来ようと友人と約束する。

 

翌日、知らない曲は、どの歌だったかとyoutubeで探していたら、

 

珍しい曲が新しくアップされていたのを見つけたので、ご紹介。

 

もう40年くらい前に、小林麻美さんという歌手が歌う「哀しみのスパイ(1984年)」

 

この曲は、作詞ユーミン、作曲玉置浩二、編曲武部聡志で、

 

玉置さんが、サビでハモっている珍しい曲。

 

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そして、こちらが「玉置浩二ショー」バージョン。

 

ピアノを弾いているのは、武部さん?

 

テレビの番組で歌われたは初めてではないでしょうか。

 

この曲は、なぜか聞いた時からずっと好きで(一番かも)。

 

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