人はそれぞれの世界の中で生きています。
私たちの人間関係、行動半径、
もしくは、普段頭の中で考えている範囲、どこまで意識を広げているか?
ということについて、お話したいと思いました。
例えば、わかりやすくするために極端な例で説明すると、
出不精で、普段からあまり外出しないとか、
付き合う人間関係がパートナだけだったり、
家族だけだったりとしたなら、
行動半径は、家族という範囲で日常生活が成り立ち、
そこにあるルールに従って大方生きているということになります。
次に、そこから少し広がって、
例えば、仕事を外でしているとか、勤めているとしたならば、
その社会の範囲で日常生活が送られていることになり、
家族を含めた、社会というルールに従って日常生活が展開するということになります。
そこから、さらに広げて、
今度は自分が住む県や、この日本という国が、
実は普段の生活のさらに大きな枠となって機能しているのですが、
そこに意識が向いていれば、
天皇の即位の礼であるとか、自分の住んでいる地域よりも遠く離れたところのニュースにも関心を寄せることになります。
そして、さらに大きく意識を向けると、
このアジアはじめ、世界が広がっています。
そして、さらにさらに大きく意識を広げると、
太陽系、
銀河系(天の川銀河)、
他の沢山の銀河、
宇宙全体・・・
となっていくのですが、
はてさて、普段私たちはどの範囲で生きているのでしょうか??
どこまで意識が開いているのかで、一日の過ごし方が断然変わってくるということに、今更ながら気づきました。。。
少し前に、グレタ・トゥーンベリさんという16歳の環境活動家の女性のスピーチが、
全世界を震撼させましたが、どのように感じましたか?
彼女は、「気候のための学校ストライキ」と銘打って、毎週金曜日に学校を休んで、より強い気候変動対策を世に訴えるという活動をしています。
私は、グレタさんをよく知りませんが、
少なくとも、地球規模で物事を考えている方に違いないと思います。
様々な感想があるかと思いますが、
一人一人の意識がどこまで開いているのかで、一つ違いが出てくるのだと感じました。
もしかしたら、家族関係の中でしか生きておらず、自分の身近な生活にしか興味がない人なら、
彼女のスピーチは、あまり関心を持つことができないかもしれないし、
ひどくなれば、嫌悪感を抱く人もいるかもしれません。
家族関係の中のみで生きている人のみならず、
地球規模以上の意識でない人にとってもです。
自分の狭い生活範囲を安定したものに死守したいと思うがために、
そこにこだわりすぎて、周りが見えなくなり、
周囲との意識ややり方、ルールといったものとギャップが生じてしまいそうです。
それは、自分さえよければそれでいい、という分離への意識にも通じるように思えます。
国単位での場合でも、同様のことが言えるでしょう。
私たちは、いつからそのような狭い範囲で物事をとらえるようになってしまったのでしょうか?
知らないうちにそういう風に刷り込まれてしまったのではないでしょうか。
地球規模、宇宙規模で考えることができる人が、もっと増えれば、
もっとこの地球は住みよい星になると思います。
宇宙意識を身に着け、地球のために生きる始まり★