Gorah's Wings

True Self True Life  今目覚めの時

宇宙の法則の中で生きる

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今、一度空を見てみてください。

 

何かしているのだったら、手を止めて一度見てみて下さい。

 

宇宙が見えましたか?

 

宇宙を感じましたか?

 

何か聞こえましたか?

 

何が見えましたか?

 

私たちは、どのくらい宇宙とつながっているのでしょうか?

 

一日のうち、どのくらい宇宙を意識するでしょうか?

 

宇宙を意識した時、どのくらい宇宙とのつながりを感じることができるのでしょうか?

 

私たちは、ある日突然、前触れもなく、地球に現れたのではなく、

 

綿密な計画をして、宇宙からやってきたのだとしたら、

 

その計画は、順調に実行されているのでしょうか?

 

私たちは、ほとんどの場合、生まれる前のことはすっかり忘れてしまっています。

 

生まれてからは、この人間社会の中にずっといますから、

 

この社会での生活が当たり前になっています。

 

何の不信感も持っていないと思います。

 

でも、ちょっと待ってください。

 

本当に、このまま流されて生きていって大丈夫?

 

普通に学校へ行って(学校は行くものだから)、

 

普通に生活のために働いて(お金稼がないと生きていけないから)、

 

普通に結婚して(大人になったら結婚するのが当たり前)、

 

普通に子供を育てて、

 

普通にいつかは死を迎える。

 

 

もしも、の話なのですが、

 

もしかしたら、塀の中刑務所の中のような所で生まれたとして、

 

ずっとその塀の中で育って、そのまま塀の中で死を迎える・・・

 

というようなことがあったとしたら、どうしますか?

 

最初から塀の中の生活が当たり前なので、

 

それが変だとは思わず、

 

本当は、塀の外の世界があるのに、

 

塀の外には、別の自由な世界があるような気がしているけれど、

 

誰も外に出たということを聞いたことがないし、

 

周りの人も塀から出ようとする人がいないし、

 

塀の外は、知らない世界だから、ちょっと怖いし、

 

誰かも、塀の外は危険だからやめておいたほうがいいと言うし、

 

塀の中は、いろんな納得できない規則や制限があるけど、

 

とりあえずみんなと一緒だし、

 

このまま塀の中で、一生を終えるのが、何がともあれ、安心だよね。。。

 

なんて考えたこの人は、実は塀の外から来た、

 

王家の血筋を引く、世が世なら王、女王となる人だったとしたら、どうしましょうか。

 

何かの理由で、生まれてすぐに塀の外から刑務所へ連れてこられて、

 

それで、刑務所で生まれ育つことになったのだとしたら、どうしましょうか。

 

塀の中刑務所の中は、よくできていて、

 

刑務所がどんなところであるとか、

 

刑務所ではこういうことをするのが、

 

立派な一人前の人間であると教育されて、

 

そして、ある程度大きくなったら、

 

いくつかの決められた仕事の中から好きな仕事を選んで、

 

そこで働いて得た賃金の一部は、刑務所の運営費に充てられます。

 

たとえ、王、女王の血筋をひいてはいても、

 

環境や教育はその人をそれらの色に染めてしまって、

 

王、女王としての人生を微塵も送ることはないでしょう。

 

でも、その人に誰かが、「あなたは本当は王家の血を引く人です」

 

と真実を教えてあげる人がいたとしたらどうでしょうか?

 

聞いたその人は、「えっ?」と最初は疑うかもしれない。

 

でも、だんだんその人の思考というか、細胞レベルのDNAというか、

 

なにかその人の核になる部分が呼び覚まされていって、

 

やがて、「自分は本当に王家の血を引くのかもしれない」と思うようになるかもしれない。

 

そして、だんだん自分が塀の外からやってきたということが真実味を帯びてきて、

 

塀の外の世界に興味を持つようになる。

 

そして、ある日とうとう塀の外へと脱出を試みるのであった・・・

 

 

 

はてさて、塀の外はどんな世界が広がっていたのでしょうか?

 

塀の中にいた時とは考えられないくらい自由で、王、女王として生きることが可能な世界です。

 

 

さっき見た宇宙と、どのくらいつながりを感じることができたでしょうか?

 

宇宙は見えていても、おそらく自分とのつながりは希薄ではなかったでしょうか?

 

つい最近まで、私は、大きなガラスボールをさかさまにひっくり返して、

 

人間社会と宇宙の境界線を塞がれているように感じていました。

 

だから、宇宙は見えていても、宇宙を感じられない。

 

自分たちは宇宙から来たのに、その宇宙が身近に感じられない。

 

とても不思議で歯がゆい感覚でした。

 

塀の中は、安心かもしれませんが、それ以上のことはありません。

 

塀の中にいては、自分が本当は誰なのかも知らないまま一生を終えることになるかもしれません。

 

誰かのささやきで、

 

自分がもしかしたら高貴な血を引く人間かもしれないと思うようになるかもしれませんが、

 

塀の中にいては、規則や制限に足を取られて、

 

王、女王としての人生は送れないのです。

 

塀の外の世界は、知らないし怖いと思い込んでいるかもしれませんけど、

 

元いた世界ですから、怖くありません。

 

宇宙には、宇宙の法則があります。

 

そこには、王、女王として生きる選択しかありません。

 

そして、この人間社会は、人間が作りだした規則や常識があります。

 

そして、多くの場合、お金や社会的地位や名誉に関心が高く、

 

多くの人はそこに価値を見出しているのではないでしょうか?

 

それが悪いというわけではないのですけど、

 

それらが結果としてではなく、目的となることに注意したいと思います。

 

 

もしあなたが、今、こういった社会で生きることに苦痛を感じているとしたら、

 

それはもう、自分が王、女王として生きることを切望しているサインなのかもしれません。

 

 

 

王、女王として生きる始まり アデプトプログラム

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ベジ餃子

友人が作ってくれた餃子が、あまりに美味しくて、

 

私も作ったのが野菜だけで作った餃子。

 

普通餃子と言えば、お肉やエビなどが入っているのが定番ですが、

 

この野菜だけで作った餃子が意外といけるのです。

 

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こんな感じで、メインは、キャベツとニラとしいたけ、

 

あとは、ニンニク、生姜、調味料が少し。

 

ポン酢とラー油を付けて食べます(^^)

 

具を作りすぎたら、皮にとりあえず詰めて、冷凍庫へ。

 

食べたくなったら、今度は餃子スープにするのも結構いけます(^^)

 

スープの出汁は、シャンタンとか塩胡椒にしています。

 

餃子は、きっと今まで、生姜とニンニクで食べていたのかと思うくらい、

 

お肉が入っていなくても美味しく食べることができます。

 

物足りなければ、チーズをプラスして入れるとまた味が変わって美味しいです。

 

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甥っ子と姪っ子が、よく作るのを手伝ってくれて、

 

自分たちが作ったものだと、余計に食欲が増して食べるようです。

 

中身の具は、いつも同じなのですが、

 

飽きもせず、しばらくしたらいつも食べたくなって作っています(^^)

 

 

料理もマジック アデプトプログラム

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あなたはやろうと思ったことは何でもできる

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その道のプロの方に、霊視してもらったことがあった。

 

30代前半の頃だったと思う。

 

大学院に行くか、もっと違うことをするか、

 

いろいろ迷っていた時期だった。

 

そこで霊視をする方が言った言葉が、

 

「あなたはやろうと思ったことは何でもできるから…」

 

確かに、やりたいことはやってきたかもしれない。

 

でも、この先もそんな都合のいいことが続くのだろうか?

 

大学院に行くにしても、何のために行くのか、目的がはっきり見えないのよね…

 

そんなことを考えながら、

 

「やろうと思えば何でもできる」

 

のだとしたら、この限られた時間の中で、本当に自分がしたいことをしたい、

 

そう思った。

 

結局大学院に行くのをやめて、やりたいことが出てくるのを待った。

 

とりあえずは、その頃、目の前の課題としてあった糖尿病の勉強に力を入れて、

 

いろいろな資格を取得して、学会に行ったり、

 

イベントで講師を務めたり、組織を立ちあげたり、活発に活動して、

 

それが今でも役立っている。

 

「やろうと思ったことは何でもできる」

 

そう言われて、何をやろうか真剣になった。

 

時間は限られている。

 

自分が本当にやりたいと思えることは何か??

 

何か一つに特化して、それに集中してやりたいと思った。

 

でも、それはいったいなにか?

 

糖尿病は、ある型にはまっていて、

 

別の視点で見ると、その治療がどこまで意味のあるものなのか、

 

私の中であいまいになった。

 

自分の中であいまいなものに、一点集中で力を注ぐことは、

 

私には無理な相談だった。

 

やりたいことは、自分自身に問いかけ続けることになった。

 

今でも毎日問いかけ続けている。

 

そして、今、私は本当にやりたいことをやっている(と思う)。

 

「あなたはやろうと思ったことは何でもできる」

 

という言葉は、今から思うと、

 

私を芯から支えてくれた重要なメッセージだったと思う。

 

この言葉がなければ、今の私はないかもしれない。

 

どうしてそんなことが言えたのか、不思議に思う。

 

ある時、偶然コーヒーショップで、

 

数年ぶりかで、かつての同僚に出会い、

 

今はナースをしながら、ヒーリングサロンをしていると話したら、

 

「あなたって、前からそうだったけど、本当に器用に何でもできるのね!」

 

とのお言葉をいただいた。

 

えっ??

 

そんなに前から、そうでしたっけ?

 

人がそういう風に見ていたということに、初めて気づき驚く。

 

「やろうと思ったことは何でもできる」

 

しかし、この言葉は、実は私にだけ当てはまる言葉ではないということを最近知った。

 

そう、、、

 

誰でも、やろうと思ったことは何でもできるんです!

 

本当ですよ!

 

さあ、一度限りの人生で、あなたは何をしますか?

 

 

 

あなたはどんな未来を創造する? なりたい自分になる始まり アデプトプログラム

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この時代に求められる人

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私は、それは、ヒーラーであり、スピリチュアルリーダーだと思います。

 

そして、今年から本格的に、そうなりたい方々へのサポートに力を入れていきたいと思っています。

 

なぜなら私自身が、もともとそうなりたいと思っていたからであり、

 

私と同じような方々がこれから現れるような気がするからです。

 

小学生の頃、占星術に魅せられ、それから10代ではタロットも。

 

それを使って、人がより良き選択をし、幸せになれるように。

 

そういう人になりたかったのです。

 

しかし、やっていくうちに、

 

自分の築いてきた価値観や世界観によって、

 

人に対して発する言葉が決まるのを目の当たりにして、

 

責任の重さと、薄っぺらい自分にどうしても自信が持てず、

 

オープンに人にリーディングすることはできませんでした。

 

ずいぶん遠回りしました。

 

でも、その間、知らないうちになりたい自分に必要な重要なことを学び、

 

生きることはどういうことか?

 

死とは何か?

 

本当の意味で生きるとはどういう状態か?

 

を私なりに理解することができました。

 

看護師歴30年以上の経験は、人間を体と心から多角的に見てサポートする術を私に多少なりとも与えてくれました。

 

患者さんはもとより、私自身も心身ともに大変でしたけど、とてもありがたい貴重な経験をしました。

 

16年前に、自分自身をマスターする道に入り、今現在もその真っただ中にあります。

 

20年前、私はエネルギーもスピリチュアルなことも全くわかりませんでしたが、

 

ある時、インド人の占星術師に、

 

「自分はスピリチュアルなことを人に伝えていきたいと思うけど、そんな人になれますか?」

 

と聞いてみたことがありました。

 

返事は、あっさり、YES。

 

すごくうれしかった記憶があります。

 

だから、私は思うのですよ。

 

人ってなりたい自分になれる。

 

なりたい自分になれるきっかけは、自分が忘れなければ、必ず訪れる。

 

そして、なりたい自分は、自分がこの地球にやってきた目的に関係するかもしれない。

 

小さい頃、あなたがなりたいものはなんでしたか??

 

 

 

あなたの魂が満足するには、本来の自分に戻ることしかないのではないでしょうか?

 

そして、それが内側の平和を生み、世界を平和に導くのだと思います。

 

 

 

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性格がいい人が好きですか?

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人は、誰かを好きになる・・・

 

そう、誰かを好きにならずにいられない・・・

 

あなたは今まで、どんな人を好きになりましたか??

 

はるか昔、私は一度だけ、箸にも棒にもかからないような人を好きになってしまったことがありました。

 

分かりやすく言うと、

 

性格が悪い!!と私からは思える人。

 

私基準ですから、他の人から見たらどうかは不明です"(-""-)"

 

でも、性格が悪くても、なぜか惹かれてしまう。

 

人の気持ちって不思議だなと思いました。

 

自分でもどうしてそんな人を好きになってしまったのか、、、

 

まあ、それは第一印象が良かったからなんですね。

 

何回か話をするうちに、徐々にお互いを隠さないようになり??

 

いや、私は猫をかぶっていましたけどね、

 

お相手の方が、ちょっとしたことですぐ感情のたがが外れてしまうということに。

 

毎回です。

 

…それ以外にも、

 

自分優先、とか。

 

これはとんでもない人だ!!と、半ばあきれる感じになったわけですが、

 

それでも、どうしてか、嫌いにはなれなくて。

 

そんな性格のいいとは言えない(←あくまで私から見て)人を

 

好きだという自分のことを、また信じられなくて。

 

こんなこともあるんだと。

 

普通に考えても、相手の性格ってとても大事ですよね。

 

それが・・・

 

性格が悪くても、人に好かれるんだ!

 

と新たな深い境地を得たわけです。

 

そしたら、

 

私、自分は欠点だらけで、

 

いつもその欠点を修正しようとして、

 

そうすることで、

 

人から好かれたい、

 

認められたい、

 

嫌われたくない、

 

とそう思っていたんですね。

 

この新しい境地のおかげで、

 

たとえ欠点があったり、性格が多少悪くても、

 

もう自分は自分でいいかなと思えるようになりました。

 

ありのままでも、好きになってくれる人は必ずいる、

 

そう思ったら、すごく気持ちが楽になりました。

 

それまでは、

 

かなり背伸びしていたし、

 

自分を受け容れているようで、受け入れていなかった、

 

と、やっと気づく。

 

妙な人を好きになりましたが、

 

その人のおかげで、自分の緊張がとけて、

 

分厚い鎧が外れた感じがしました。

 

その方には、今でも感謝しています。。。

 

 

ちなみに多分、そこまで惹かれたのは、

 

私が持っていないものを彼が持っていたからで、

 

嘘のない、正直さで、人目を気にしないで、

 

ストレートに生きているという姿を見たからだと思う。

 

本当に私とは、真反対な方でした。

 

 

 

自分がもっと好きになる アデプトプログラム

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絶対的存在

私は、物心ついたころから、両親に相談した覚えがありません。

 

友人たちが、親に相談して・・・とか話しているのを聞いて、

 

ずいぶん私とは違う親子関係だと思ったものでした。

 

そのうち相談するような関係になるのかなと思っていましたが、

 

今だその気配がありません。

 

これは、多分、

 

両親に相談しても、私が欲しい言葉をもらうことができないとわかっているからだと思います。

 

小学生の頃、最悪の事態が発生して、

 

それを勇気を出して話しても、

 

私が悪い、というようなことを、追い打ちをかけるように言われ、

 

本当に何を言ってもダメだと悟り、

 

立ち直るのに相当の年月を要しました。

 

そんな親子関係でも、親子なので、どうしようもありません。

 

家族という名目の下、親に従って生きるしかありませんでした。

 

社会人になってからは、

 

職場の新人の歓迎会か何かで、あいさつをすることになって、

 

直属の看護師長のことを、「私にとって神様みたいな存在で・・・」

 

と言って、同期の仲間に変な顔をされたということがありました。

 

自分が未熟だと思って、師長の言うことはとにかく何でも聞いて、

 

一人前になりたいと思っていたのでしょう。

 

でも、今は違いますよ。

 

年齢をかさね、自分に余裕も出てきましたからね。

 

依存心というか、過剰に期待する関係はありません。

 

多分、他の人間関係においても。

 

人間というのは、自分が誰なのかわかっていないと、

 

ついだれかに頼りたいと思うものなのかもしれませんけど、

 

頼る相手を間違えると、あらぬ方向へ行くやもしれない。

 

うっかりすると、いつの間にか操り人形のように支配されていることもあるかもしれない。

 

やっぱりまず自分自身の足でしっかり立って、

 

自分を信じること、自分で考えて、行動すること、が大切だと思います。

 

これは、本当に大事なこと。

 

 

冒頭、両親のフォローを少ししておこうと思います(*^^*)

 

うちの両親の良いところは、最終的な選択、決断は、

 

いつも私の意志に任せてくれたことでしょうか。

 

進路のこととか、就職のこととか。

 

一度も強制されたことはなかったと思います。

 

まあ、私が先に決断して、事後報告ということも多かったですけどね。

 

 

 

依存、支配から自由に生き始めよう! アデプトプログラム

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本音で生きるメリット

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近頃、本音で生きることができることほど、

 

自分が安心していられることがないのではないかと思う。

 

自分が自分であるということ。

 

ともすると、

 

人に嫌な思いをさせないように、

 

自分をすり減らして、

 

自分のことは考えないで、

 

表面的に、取り繕うことばかりしていた長い期間があった。

 

そして、いつの間にか、

 

自分の気持ちが分からなくなっていた。。。

 

本当にあの頃はつらかったけど、

 

だからこそ、今わかることもある。

 

自分に忠実に、表現することができた時、

 

本当に気持ちいいんですよね。

 

人間関係にしても、

 

自分の本音で、相手に対すると、

 

相手からも本音が聞けることが多い。

 

お互い本音を知って、さらにいい関係が築かれるように思う。

 

思ってもいないことを、相手に言ったとして、

 

その反応はどんなものが返ってくるのだろうか?

 

そんなに期待した反応は返ってこないのではないだろうか?

 

あいまいな問いかけには、あいまいな返事しか返ってこない。

 

日本人は、

 

空気を読むとか、

 

相手の気持ちを察するとか、

 

行間を読むとか、

 

第六感みたいなものを働かせることが多いけど、

 

分かりづらいことがありますね。

 

本音で語り合ったほうが、早くお互いを理解できるのではないでしょうか。

 

今までに一度も好きな人に告白なんてしたことない!

 

とか、

 

絶対に告白できない!

 

なんていう方がいますけど、

 

どうしてですかね??

 

自分の気持ちをはっきり伝えたほうが、

 

相手もはっきり答えてくれると思うのです。

 

逆に、自分の正直な気持ちを伝えない場合のメリットはなんなのか、教えてほしいです。

 

好きなら好きと伝えたら、

 

もしかしたら相思相愛になるかもしれないし、

 

結果はどうであれ自分もすっきりするし、

 

いいと思うんですけどね・・・

 

結局、これが言いたかったんです(*^^*)

 

 

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