看護師歴33年。
いつの間にか、そんなに経っていたのだと変な気持ちになる。
駆け出しのころは、看護師歴10年の先輩に対してでも、
尊敬の念を持っていたが、
33年となれば、もはや化石に値する希少な存在だと、あの頃の自分なら感じると思う。
それくらい、長い看護師としての経験は、本当にいろんな経験を積んで、
その人の中で、こんな場合にはこうするといったような、
その人originalの法則が存在すると思う。
実際の自分はと言うと、そこまではいかないにしても、
ある程度の知識なり、経験なりの蓄積があり、周囲から頼りにされることは多い。
そんな私には、看護学生の時に、とても素晴らしい先生たちとの出会いがあり、
本当に恵まれていたと思う。
その中の一人の先生は、今は東大で教授をしていて、何冊も本を執筆し、
他の先生方も、県内の大学で今でも教鞭をとっている人は多く、
県内の看護師養成に深い貢献をされていると思う。
その中でも、一番に尊敬していた先生がいた。
その先生は、私から見て、
どんな患者さんとでも心を開いて、患者さんの心の問題を解決する
誰とも比較できないくらい抜きんでたコミュニケ―ション能力が高い方だった。
その先生が、大学で教授として教えるようになり、
ゼミで、学生から、その先生のコミュニケーション能力について、
一般化する研究をしていると聞いたことがあった。
その時は、そんなことができたら、
多くの人にコミュニケーションに有効なスキルを提供できる画期的なことだと思った。
そういえば、学生の頃から、聴いていたことがあった。
今では、某ミステリースクールで頻回に聞く言葉であるが、「看護とは、科学とアート」。
東大に行った先生がこの言葉を繰り返す姿が、思い出される・・・
今なら、この言葉をよく理解できる。
コミュニケーション能力の高かったあの先生の研究は、どうなったのだろうか。
看護師は、患者さんとコミュニケーションをとるときは、
その時々で、状況に応じて、その人それぞれで、いろんなことを考えて接する。
そこで、どんなことが患者さんに向かって表現され、患者さんとやり取りするのかは、
本当に千差万別だと思う。
看護のアートの一部分がこんなところに出るのだと思う。
言わば、あの先生のコミュニケーションは、あの先生独自のアート。
おそらく一般化は相当難しかったのではなかろうか。
できたとしても、ほんの一部に過ぎなかったのではないかと想像する。
アートは、その人が持つ、その人だけが持つセンスであり、
その人を表現する美。
コミュニケーション技術を真似をすれば、誰でも先生のように患者さんの心を開くことはできるものではないと思う。
先生のコミュニケーションは、先生のそれまでの人生と、内面的な美しさと、
患者さんへの思いやりと、、、いろんなものが土台になって、表現されるものだから。
少しは、参考になる部分はあると思うが、
アートは、その人自身が紡ぎだす美だから、独自でその能力を磨くしかないのだと思う。
コピーしても無駄。
自分に向き合い、自分を正し、相手を思う気持ち。
そういう自分が、患者さんに向き合ったときに、表現される。
日々鍛錬ですね。
患者さんと向き合う時、看護理論を使いますが、
私は、マーガレット・ニューマンの理論が好きですね。
患者さんに寄り添い、気づき、変容を生み出す、というもの。
自分がもともとしていて、それに合致した理論というところでしょうか。
自分の美を表現すること、アート。
経験の長さは、アートとしての独自性が強く出てくるのかもしれません。
そういう目で看護師を見ると、また楽しいですね。
看護師のみなさん、個性を伸ばして、ユニークな看護師になってください(^^)