先週末8月12~13日にかけて、立山に登った。
昨年の夏も登ったが、立山はいつも楽しい。
知らない方との出会い、(もう何度も訪れたのに)見たことのない景色、
行くまでの準備と葛藤、、、
初登山が、18歳の夏、この立山だった。
行く直前までは、いつもお天気や体調が気になり、
内面的な葛藤に直面するのだが、
あの時の一面に広がるお花畑と、澄んだ空気、星空が忘れられなくて、
登山を繰り返すたびにもう何十年もたってしまった。
家族や親戚に登山を趣味にしている人は皆無なのだが、
なぜだか無性に惹かれる魅力が山にはある。
山に関しては、もちろん最初は素人だったが、
サポートをしてくれる人達がいて、
山のいろんなノウハウを蓄積することができ、
今回、希望者を募って、とうとう立山ツアーを企画、実行に移したのだった。
ほとんどが初心者であり、やはり行く直前までは、
準備の過程でいろいろ巻き起こっていたようだったが、
行ってみると、そんなことはどこへやら。
雨は降っていても、山そのものを楽しんでいるようであった。
そんな私たちの陽気さに、お天気もつられたのか、
徐々に雲がはれ、青空がのぞいて、
目的地の少し小高い山小屋についたころには、
かなり見晴らしが効くようになった。
雲海の夕日は、幻想的でため息が出た。
みんな長い時間、うっすらとオレンジ色に色づく空と雲を眺めていた。
その夜は、ペルセウス座流星群の極大を迎えるとあって、
みんな一気に期待が高まった。
山はそれに答えるかのように、
当初の土砂降りからは想像できないくらいの星空を見ることができた。
山小屋の明かりを避けて、暗闇に身をゆだね、空を仰ぐ。
半分くらいはガスで空は隠れていたが、
それでも、ガスの間から垣間見るたくさんの数えきれない落ちてきそうな星々は、
意識をどこか遠くへ誘い、
私たちが、この地球に限定されない存在であることを感じさせてくれた。
いくつもの流れ星が歓声とともに流れ、
あきらめないで立山に来て本当によかったと思った。
翌日3時にはもう起床して、ご来光にチャレンジ。
山小屋から1時間ちょっと登ったところに、雄山神社があった。
山小屋を出ると、やはりガスが周囲に出ていたが、
流れ星を見ながら、足取り軽く頂上を目指した。
頂上に到着すると、そこは今まで見たことがないような雲海が広がっていた。
しばらくすると神主さんが現れて、たたみ6畳ほどの山の頂上に招かれて、
そこからご来光をその場に居合わせた方々と拝んだ。
雲海から現れた金色のまばゆい光。
この一瞬を見るために、山に登り続ける人がいるのではないだろうか?
そう思わせるくらい、いつもご来光は神々しい。
あたりを一瞬にして照らし、この世界を明るくする。
隣で一緒に見ていた青年が、「あぁ、あたたかい…」と声を震わせていた。
そう、太陽が昇ると、暖かくなる。
私たちは、どれほど、この太陽から恩恵を受けているのだろう。
そして、私たちはその太陽のありがたさをどのくらい知りえているのだろう。
太古の人々は、そんな太陽を、神として畏れ拝んだ。
現代に生きる私たちは、物があふれ、あって当たり前に慣れすぎて、
つい忘れがちになっているのではないだろうか?
ご来光とともに、その日の初祈祷をありがたく受けさせていただいた。
雲海の向こうに遠く富士山や白山も見えた。
今思い出しても、なんとスペシャルな登山だったろうか。
雷鳥にこそ出会うことができなかったが、
いくつもの雪渓、流星群、ご来光・・・
雨という予報にも挫けず、ご参加いただいた方々の、山の神々からの祝福だと思った。
やっぱり山はいい。