Gorah's Wings

True Self True Life  今目覚めの時

コロナの現在

金沢では、蔓延防止措置が10月1日から解除され、

 

11月26日現在、新規感染者は8日ぶりに1名(それまで0人)でした。

 

全国でも減少の一途で、

 

全国での新規感染者が119名、東京では19名、大阪は14名となっています。

 

10月中に、病院では、

 

今までの感染対策で、設置していた足ふきマットや、隔離用の壁を取り外し、

 

室内がずいぶんすっきりした印象になりました。

 

防御用エプロンも、コロナ以前の使用回数に戻りました。

 

そうは言っても、

 

頻回な手洗いや、食事休憩中の黙食、ソーシャルディスタンスなどは不変です。

 

そういえば、感染対策用のベッドと枕に、今日から総入れ替えになったと聞きました。

 

シーツ交換の手間が省けるマットレスということですが、どんなものなんでしょうかね?

 

コロナワクチン接種は、とうの昔に2回目が終わり、

 

3回目の前に、インフルエンザワクチンの接種をしています。

 

海外では、第6波で感染者数がずいぶん多く、

 

南アフリカで新変異株(オミクロン株)が見つかったと聞きますから、

 

インフルエンザの季節到来と相まって、

 

これから日本の状況がどうなっていくのかは、

 

注意していきたいところです。

 

とりあえずは、久しぶりに感じる少し緊張感の緩んだこの時に、

 

自分のメンテナンスを行い、

 

体制を整えておくことが必要かと思っています。

 

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どんな状況に置かれても平常心(安心立命) アデプトプログラム

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No Time To Die

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コロナの影響で、延期に次ぐ延期で、やっと今年の10月1日に公開された、

 

007 NO TIME TO DIE

 

主演のダニエル・クレイグは、今回の作品でジェームズボンド役を引退。

 

007シリーズは、父がよくテレビで見ていたので、

 

幼いころから見ていました。

 

でも、このダニエル・クレイグになってから、本当に好きになりました。

 

作品のしょっぱなから

 

息もつかさぬアクションと、印象的な曲。

 

私もボンドガールになりたいと、思わせるほどの素敵なジェームズ♡

 

2006 カジノロワイヤル

 

2008 慰めの報酬

 

2012 スカイフォール

 

2015 スペクター

 

2021 ノータイム・トゥ・ダイ

 

この中の、映画スカイフォールでロンドン出身のアデルの歌う「スカイフォール」が、

 

映画と相まっていいんです。

 

こちら

007 スカイフォール アデル - Bing video

 

そして、今回の映画ノータイム・トゥ・ダイでアメリカ出身のビリーアイリッシュが歌う「ノータイム・トゥ・ダイ」

 

www.youtube.com

 

切ない歌ですね。

 

今の心境を感じます。

 

ビリーは、19歳で私と誕生日が1日違い。。。

 

ジェームズは、英国秘密情報部のエイジェント。

 

この仕事の名前に惹かれるのは、どうしてなのでしょうか??

 

不思議です。

 

イギリスには、3週間ほど滞在したことがあるのですが、

 

その時は、体調が異常によくて、

 

普通の街の風景の美しさに感動して、写真をたくさん撮りました。

 

やっぱり、イギリス好きだな・・・

 

2012年にイギリスでオリンピックが開催されましたが、

 

その時のパラシュートで飛んだ、エリザベス女王との共演もおまけにどうぞ。

front-row.jp

 

007では、もう会うことが出来ないダニエルですが、

 

他にも映画に出ているので、しばらく振り返って観てみたいと思います。

 

 

ときめく毎日を応援する アデプトプログラム

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その「喜び」は儚(はかな)くないですか?

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コロナ禍で、社会が変化し、行動が制限される中、

 

内省に傾く人が多いのではないでしょうか。

 

自分自身を見つめなおす。

 

これからの人生を考える。

 

スピリチュアルな世界では、人生を喜びで満たして生きる、とよく言われますが、

 

この自分の喜びとはいったい何でしょうか??

 

ただ単に、うれしいとか、楽しいとか、

 

やりたいことをしたり、

 

ほしいものを手に入れたり、

 

行きたいところに行ったり、

 

好きな人と一緒にいる、とか。

 

喜びと聞いて、きっといろいろ出てくると思います。

 

でも、喜びにもいろいろレベルがあります。

 

といっても、優劣をつけるわけではないんですけどね。

 

倍音を知っていますか?

 

同じ音でも周波数が違うものが存在したり、

 

占星術でも、水星や金星、火星のオクターブ上の惑星があって、

 

それが天王星海王星冥王星だったりします。

 

オクターブという言葉が出ましたが、

 

音階でも、同じドでも、いろんな高さのドがありますよね。

 

これを当てはめて考えていくと、

 

じつは、人間の意識にも同じことが言えます。

 

同じ自分でも、周波数の高い自分がいるということです。

 

周波数の低い自分が感じる喜びと周波数の高い自分が感じる喜びは同じでしょうか?

 

おそらく、両者の喜びは違うと思います。

 

周波数の低い自分の喜びが、価値がないと言っているのではありません。

 

ただ、周波数の高い自分の喜びのほうが、

 

自分の中の深い所からやってきていて、持続力があるのだと思います。

 

そして、周囲への影響力も大きいのではないかと。

 

周波数の高い自分は、ハイヤーセルフと言われたりします。

 

私たちは地球に来る前には宇宙にいて、

 

そこで地球での計画を立ててきていて、

 

その計画が実行できたときに喜びを感じます。

 

これは喜びの一部分かもしれませんけど。

 

だから、より深い、周波数の高い喜びを感じたいと思うなら、

 

日々ハイヤーセルフに意識を向けたり、

 

繋がったりするといいというのは想像がつくと思います。

 

ハイヤーセルフとつながるためにお勧めなのは、

 

毎日の瞑想や、

 

自分自身の周波数の基本の状態を底上げする、

 

アデプトプログラムやDNAアクティベーションです。

 

喜びというと、なんだかいいことばかりなのかというと、そうではなく、

 

もしかすると感情的にはすごく嫌だったりすることもあるかもしれません。

 

人間的なところで否定的に反応していても、

 

周波数の高い自分は喜んでいるということです。

 

そうやって考えていくと、喜びと一口に言っても奥が深いですね。

 

 

 

あなたは、今喜びの中にいますか?

 

そして、幸せですか?

 

もし、そうでないなら、ハイヤーセルフの求めている喜びを探しませんか?

 

 

 

 

自分の周波数を上げて、深い喜びと共に生きる始まり アデプトプログラム

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あなたの人生は誰のもの?

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「あなたの人生は、誰のもの?」

 

と聞かれて、ほとんどの人はこう答えると思います。

 

「私の人生は、私のもの」

 

確かにその通り、なのですが、実際はそうではない場合もあります。

 

言葉を変えると、

 

自分では、「自分の人生」だと思ってはいても、

 

自分の人生を生きていないということ。

 

その中でも、今気になっているのが、「被害者意識」です。

 

昨今、「自分軸で生きる」とか言われ、

 

私自身も、True Self True Life、ということを掲げていますが、

 

そうでないとしたら、その人生はどこが魅力的なのでしょうか?

 

自分が思い描いた通りに、自分が主役の人生を生きる。

 

この地球で人目を気にせず、好奇心とともにいろんな経験をしながら、自分の使命、目的を果たす、ということ。

 

今の私は、多少ではあるけど、毎日自分の使命について考え、

 

やりがいをもって自分の人生を生きていると感じながら日常を送っていますが、

 

今までの経験の中で、堂々巡りでいけてない時期もありました。

 

それが上記の「被害者意識」。

 

何か自分の人生に、良くないことが起こってきたら、誰かのせいにする。

 

もしかしたら、あなたも同じことをしたことありませんか?

 

これをするときは、パターンがあります。

 

 

■ 人生上に何かアクシデントが発生

(例)失敗する ブラック企業で酷い目にあう

 

⇒ 自分が傷つきたくない 

 

⇒ 人のせいにする 

 

⇒ もしこの出来事に他人が絡んでいると人間関係がぎくしゃくする

 

⇒ 他人が絡んでいないとしても、あえて他人を引き出して、人のせいにして、問題が(アクシデント)余計に混乱する

 

⇒ 人のせいにするということは自分の人生に責任を持っていないということとイコールであり、そうすることによって、自分の人生が他人からの影響を受けることを受け容れてしまうことになる

⇒ 自分の人生は、他人から影響で成り立っているという形を作ってしまう そして、自分を守るために人のせいにしたはずが、結果人間関係がまずくなり、自分の立場が悪くなる

⇒ 人のせいにして、問題解決を図らないことによって、このループから出ることは出来ず、常に生きづらさを感じて、何のために生きているのかと思うようになる。

 

 

 

自分の人生に自分で責任を持つこと。

 

失敗しても、人に責任転嫁はしないで、自分のことと受け止めて、

 

そこから、次に同じことを繰り返さないためにはどうすればいいか解決策、対応策を考える。

 

 

 

最初は、自分で自分の人生に責任を持てるのか、はなはだ疑問でしたが、

 

やっていくうちに、できるようになっていきました(*^^*)

 

やればできます。

 

これをやらないと、自分の人生を生きることはできません。

基本中の基本です。

 

 

ちょっと、注意したい点があります。

 

アクシデントが起こった時なのですが、なんでもかんでも、自分が悪いと思うのとは違います。

 

ここは、感情を横に置いておいて、

頭を使って、冷静に状況を分析する必要があります。

 

その上で、自分がとるに足らなかったところを認めて、前向きに解決を図っていきます。

 

自分で自分の人生に責任を持つことができるようになると、

 

ドライブ感が出てきて、楽しくなりますよ。

 

 

 

あなたの人生を力強くサポート 

あなたが自分の人生を輝いて生きる為に

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アデプトプログラム

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言葉の両刃

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10代の頃、いじめのような状況に陥ったことがあった。

 

ことの発端は、

 

とってもお人好し過ぎて、一部の人から疎ましがられていた人を不憫に思って、

 

仲良くするようになってからだったと思う。

 

ある意味とばっちりである。

 

見て見ぬふりをして、何もしなければ、そんなことにはならなかったのだろうから。

 

でも、放ってはおけなかった。

 

悪いことをしていない人が、一方的に攻撃の的になるのは違うと思ったから。

 

攻撃の的が私になってから、苦悩は始まった。

 

3年くらいは続いたのではないだろうか。

 

一部の人から、攻撃されるようになると、

 

他の人からも同じように思われているような気がしてきて、

 

殻に閉じこもった。

 

教室では、人とめったに話をすることはなくなった。

 

あのころが一番孤独だったかもしれない。

 

両親と相談するような関係ではなかったし、

 

ましてや、先生に相談するようなオープンな性格ではなかった。

 

でも、たった一人だけ、私を理解してくれる人が現れた。

 

その人は、いつも一緒にいてくれた。

 

その人がいたから、あの時期を耐え忍ぶことができたのだと思う。

 

いじめは、悪だ。

 

人を追い詰める。

 

最悪の状況は、見ての通り、世の中のあちこちで起こっている。

 

そのニュースを見るたびに胸が痛む。

 

どうして、そんなことが起こるのだろうか?

 

ストレスのはけ口だったのだろうか?

 

人を否定して、自分を肯定したかったのだろうか?

 

子供の世界だけにあるわけでなく、大人の社会にもそれはある。

 

肉体に対する暴力は、もってのほかなのは周知の事実だが、

 

言葉での暴力も実は同じだ。

 

どちらも人に危害を与えるということで、同じエネルギーだから。

 

 

 

誰もが価値のある存在と理解することができる アデプトプログラム

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看護は科学とアート

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看護師歴33年。

 

いつの間にか、そんなに経っていたのだと変な気持ちになる。

 

駆け出しのころは、看護師歴10年の先輩に対してでも、

 

尊敬の念を持っていたが、

 

33年となれば、もはや化石に値する希少な存在だと、あの頃の自分なら感じると思う。

 

それくらい、長い看護師としての経験は、本当にいろんな経験を積んで、

 

その人の中で、こんな場合にはこうするといったような、

 

その人originalの法則が存在すると思う。

 

実際の自分はと言うと、そこまではいかないにしても、

 

ある程度の知識なり、経験なりの蓄積があり、周囲から頼りにされることは多い。

 

そんな私には、看護学生の時に、とても素晴らしい先生たちとの出会いがあり、

 

本当に恵まれていたと思う。

 

その中の一人の先生は、今は東大で教授をしていて、何冊も本を執筆し、

 

他の先生方も、県内の大学で今でも教鞭をとっている人は多く、

 

県内の看護師養成に深い貢献をされていると思う。

 

その中でも、一番に尊敬していた先生がいた。

 

その先生は、私から見て、

 

どんな患者さんとでも心を開いて、患者さんの心の問題を解決する

 

誰とも比較できないくらい抜きんでたコミュニケ―ション能力が高い方だった。

 

その先生が、大学で教授として教えるようになり、

 

ゼミで、学生から、その先生のコミュニケーション能力について、

 

一般化する研究をしていると聞いたことがあった。

 

その時は、そんなことができたら、

 

多くの人にコミュニケーションに有効なスキルを提供できる画期的なことだと思った。

 

そういえば、学生の頃から、聴いていたことがあった。

 

今では、某ミステリースクールで頻回に聞く言葉であるが、「看護とは、科学とアート」。

 

東大に行った先生がこの言葉を繰り返す姿が、思い出される・・・

 

今なら、この言葉をよく理解できる。

 

コミュニケーション能力の高かったあの先生の研究は、どうなったのだろうか。

 

看護師は、患者さんとコミュニケーションをとるときは、

 

その時々で、状況に応じて、その人それぞれで、いろんなことを考えて接する。

 

そこで、どんなことが患者さんに向かって表現され、患者さんとやり取りするのかは、

 

本当に千差万別だと思う。

 

看護のアートの一部分がこんなところに出るのだと思う。

 

言わば、あの先生のコミュニケーションは、あの先生独自のアート。

 

おそらく一般化は相当難しかったのではなかろうか。

 

できたとしても、ほんの一部に過ぎなかったのではないかと想像する。

 

アートは、その人が持つ、その人だけが持つセンスであり、

 

その人を表現する美。

 

コミュニケーション技術を真似をすれば、誰でも先生のように患者さんの心を開くことはできるものではないと思う。

 

先生のコミュニケーションは、先生のそれまでの人生と、内面的な美しさと、

 

患者さんへの思いやりと、、、いろんなものが土台になって、表現されるものだから。

 

少しは、参考になる部分はあると思うが、

 

アートは、その人自身が紡ぎだす美だから、独自でその能力を磨くしかないのだと思う。

 

コピーしても無駄。

 

自分に向き合い、自分を正し、相手を思う気持ち。

 

そういう自分が、患者さんに向き合ったときに、表現される。

 

日々鍛錬ですね。

 

 

患者さんと向き合う時、看護理論を使いますが、

 

私は、マーガレット・ニューマンの理論が好きですね。

 

患者さんに寄り添い、気づき、変容を生み出す、というもの。

 

自分がもともとしていて、それに合致した理論というところでしょうか。

 

自分の美を表現すること、アート。

 

経験の長さは、アートとしての独自性が強く出てくるのかもしれません。

 

そういう目で看護師を見ると、また楽しいですね。

 

看護師のみなさん、個性を伸ばして、ユニークな看護師になってください(^^)

 

 

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先生の万年筆

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先日、万年筆を購入した。

 

パソコンで、大かたメールでやり取りする今の世の中で、

 

逆行しているのかもしれないけれど、

 

美しい形状や色と、使っている人のコラムを読んでいるうちに、

 

万年筆らしい万年筆で字を書いてみたいと思ったのだった。

 

万年筆を初めて見たのは、

 

小学生の頃、週に一回通っていた、書道教室だった。

 

先生が、硬筆を習っている生徒に、朱色のインクを入れた万年筆で修正を施していた場面だった。

 

見たこともないペンで、遠くからまじまじとよく見つめたものだった。

 

ある時、もうインクがない!と言って、

 

別室にしばらく籠って、5分くらいだったろうか。

 

やっと帰ってきたときには、先生がホッとした表情をしていたのを覚えている。

 

今思えば、

 

それが万年筆で、多分ペン先は太字くらい、

 

そして、インク吸入器コンバーターか尾栓回転吸入式万年筆だったのだろうと推察する。

 

赤いインクが、ペン先からほとばしるように出て、

 

そこから先生の指の運びで、きれいな字や〇が現れるのが、

 

好奇心旺盛な私を、釘付けにした。

 

あれから何十年。

 

あの先生は、きっと粋でおしゃれだったのだろうと思う。

 

今まで、万年筆を購入したことがなかったわけではない。

 

低価格なものから、超高級なものまであるが、

 

万年筆のことをよく知らないうちは、高級なものを買う資格はないと思い、

 

カジュアルなものを数本手にしたことはある。

 

今も使っているのは、雑誌の付録についていたものと、

 

雑貨屋さんで購入した1500円程度の外国産のものだ。

 

この2本を使っているうちに、万年筆の良さや取り扱い方法が分かるようになり、

 

これでカジュアルでない、万年筆らしい万年筆を1本くらい手元に置いておいてもいいのではないかと思うようになった。

 

いろいろネットで調べて、1本に絞るのに、1年以上かかった(^^;)

 

 

こだわったのは、

 

・ペン先が金

 

・コンバータ式

 

・日本製

 

・外観

 

ペン先は、素材で書き味が変わるらしく、柔らかい金はどんな書き味なのだろうかと興味がそそられた。

 

コンバーター式は、書道教室の先生の影響。

 

日本製のものは、日本の文字を想定して作られているので、書きやすいのではないかと思った。

 

最初の一本は、錨マーク(アンカー)のあのメーカー。

 

外観は、形状の美しさ、色、で自分の好みで決めた。

 

ついでにインクも購入したのだが、

 

ボトルインクが100種類も出ているのだとか!

 

色選びの楽しみもあり。

 

本日、その万年筆が届いた。

 

早速手に取り、まじまじ、ニヤニヤしながら見る。

 

肝心の書き味は、、、なんとなくすらすら書ける感じ。

 

これから、いろんな場面で使っていけるといいなと思う。

 

誰かから手紙が来た際は、お返事はこの万年筆で早速書かせていただきたいと思う。

 

 

 

 

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