2024年の今年の元旦は、いつも通り、年の暮れからお寺参りをして、
そのあとは白山ヒメ神社に参拝にいきました。
お正月のスケジュールを終わらせて、一眠りして、
午後から実家の中能登町に帰省しました。
氏神様にもご挨拶を済ませ、庭になっていた柚子をのんびり梯子に登って採っていました。
しばらくすると、スマホがすごい音量で地震の警報音を鳴らしました。
なんだと思って見ると、地震だという。
地震と言っても、また大したことないんじゃ・・・と思いながらも、
とりあえず梯子を下りて、静かにしていると、
遠くの方からゴォーッという地鳴りがして、それがどんどん近づいてきました。
えっ?!
とたじろいでいたら、地面と共に、目の前の家が大きく揺れました。
それが、1月1日16:06の最初の地震でした。
M5.5、震源地能登地方(珠洲)、震度5強。中能登町で震度3。
結構揺れたね、でも大丈夫・・・と思っていたら、またスマホから警報音が。
再び、でも先程よりはっきりした地鳴りがすぐに近づいてきました。
16:10、M7.6、震源地能登地方(輪島の東北東30Km付近)、志賀町(原発所在地)震度7。
そのまま家の外に立っていました。
私自身は倒れそうにはならなかったのですが、目の前の家がどうにかなりそうだったのは誰が見ても明らかでした。
すべてのものが、上下左右に何度も何度も繰り返し揺らされていました。
屋根の上に設置していたエアコンの重い室外機は、ガタガタ音を立てて、今にも落ちそうになっていましたし、
玄関先の大きめの車は、ぴょんぴょん飛び跳ねて、
もう少し先にある溝に落ちるのではないかと思いました。
そして、家の土台の地面は、ぐるりと一周ひび割れていました。
揺れがやっと収まると、家の中から両親が出てきました。
幸い無事でした。
玄関先から家の中を覗くと、シューラックやシューボックスが見事に倒れ、
キッチンにおいては、重い食器棚が倒れ、お皿が何枚も割れていました。
壁掛け電波時計は、16:10で止まっていました。
本棚も倒れていたし、ピアノも、絨毯はずれていないのに、20cm移動していました。
どうやら飛んだようでした!
鍵のかかっていなかった窓は全開に。
その後も、大きめの地震(震度5)が何度も続き、
家が倒壊するかもしれないと、警報が鳴るたびに、家の外に出ました。
そうやって、夜は更けていき、そのうち弟家族が帰宅。
やっと片付ける気になり、みんなで取り掛かりました。
お腹がすいて、みんなでおせちを食べて、
満たされたら、そのうち金沢の自宅が気になり出して、
のと里山海道は地震の影響で閉鎖ということで下道で帰宅しました。
能登を脱出する車で、途中混んでました。
自宅は、いろいろ落ちて割れて、破片があちこちに散らばり、
やっと後片付けをして、布団に入ったのが夜中の2時。
大変でしたが、私の地震の被害はこの程度。
のちに被害の状況が徐々に明らかになり、地震の猛威を知ることになりました。