Gorah's Wings

True Self True Life  今目覚めの時

ハワイ島の旅-ハレマウマウ火口-

ワイ島といえば、女神ペレ。

キラウエア火山にいると言われている。

昨年はこの火山の噴火で、溶岩が流れ出し、

家をなくしたり、多くの被害があったが、

今は落ち着いていて、火口近くにも行ける状態だった。

10年前に行った時には、

小さな地震が断続的にあって、

火口付近も立ち入り禁止だった。

その時は仕方なく、ジャガーミュージアムから火口を長い距離を置いて見渡す感じだった。

今回は、昨年の噴火で火口が大きくなって、

地震もなく落ち着いた状態で、

際まで寄って、火口を見ることができた。

火口のあちこちから蒸気が昇りたち、地球がまさに今生きているという感覚を覚えた。

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火口周辺から海に向かって流れ出たマグマの跡、つまり黒い溶岩も広がっていた。

溶岩で埋め尽くされた地表は、時間の経過とともに次第にひび割れて隙間ができ、

そこからまた新たな命が芽生えていく。

植物の再生力は素晴らしく、

地球の生命力の強さを感じた。

こんなにも生命力をダイレクトに感じる場所は、そうないのではないだろうか。

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この写真の場所からは、割れた地表から蒸気が出ていて、

その蒸気を直接浴びることができる。

たまたま発見した場所で、あまり人がいなかったので、友人とその蒸気を全身で長い時間浴びることができた。

硫黄棚という場所に行こうとして、その途中で見つけたポイントだった。

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マサラダを食べた後、ワイピオ渓谷の観光が水かさが増して中止になったので、

ドライブがてら行ったハレマウマウ火口。

途中はずっと雨だったが、火口についてからは、不思議と雨が止み、

女神ペレの歓迎を受けたのかもしれないと思った。


<続く>

ハワイ島の旅-マサラダ-

プウコホラ・ヘイアウを後にして、次に向かったのは、

友人がリサーチした、ハワイ島で有名なマサラダの美味しいお店。

お昼頃に着いたのだが、

たくさんの人で賑わっていた。

マサラダとは、言ってみればドーナツみたいな食べ物で、

四角い形に小麦粉を原料にして練ってあって、

それを油で揚げて、表面に砂糖をつけたり、

中にクリームやチョコレートなどを入れてある。

生地はもっちりしていて、あと引く美味しさ。

その後、もう一度食べたいと思って、ショッピングセンターのマサラダを買ってみたが、

パサパサしていて、最初に食べたものとは比較にならなかった。

ここでは、マサラダ以外にロコモコを食べたが、マサラダの美味しさが際立っていて、ロコモコがどうだったのかは思い出せない…

写真を撮り忘れたのは、残念でならない。

友人の美味しいものに対するアンテナはいつも素晴らしくて、敬服する。

ワイ島の北東部にあるお店だった。


<続く>

ハワイ島の旅-プウコホラ・ヘイアウ-

1日目は、ホテル敷地内のショッピングモールに行って、

滞在中に必要な食べ物などを買い込んだ。

高級リゾート地であるがゆえに、物価が異常に高く、少しでも節約したかったのだ。

2日目は、いよいよ観光へ。

友人は、ハワイ自体が初めてだった。

この日は朝からレンタカーを借りて、初左ハンドルの運転に挑戦した。

車線は日本と反対で、右側通行。

交差点では、右折は信号が赤でも、進行可能。

交通ルールに戸惑いながらも、徐々に慣れて行く。

そして、向かった先は、ホテル近くのプウコホラ・ヘイアウ。

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ワイ島にいくつか点在する、神殿跡地。

見晴らしが良くて、開放的な所だった。

すぐそばの海岸には、砂の穴がいくつもあって、カニが出入りする様子を友人と見入った。


<続く>

ハワイ島

先日、友人の誘いでハワイ島に行った。

これでハワイには3回目。

1回目は、20年以上前に、母を連れてホノルルマラソンに参加。

2回目は、10年前にハワイ島へ一人旅。

そして、今回。

ヒルトンホテルの無料宿泊を手に入れた友人からの話に乗って、久しぶりに休暇メインの旅行に行くことにした。

ヒルトン・ワイコロア・ビレッジは、ハワイ島の北西部に位置する高級リゾート地。

敷地は広く、電車やボートで部屋のある棟まで移動。

部屋はオーシャンビューで、窓からは心地よい海風が入り込み、

すぐ近くには、仏陀の像がある瞑想の丘なる場所があった。

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昨日までは雨続きで、私たちの到着日にやっと晴れたと現地の人が言い、

幸先のいい旅のスタートを切った。


<続く>

人生平等プラマイ0~大切な人を失った喪失感は癒されることがあるのだろうか?~

人生の中で起こってくることは、プラスマイナス0と聞いたことがありますか?

アストロロジー、つまり、西洋占星術においても、人生で起こることは平等だと言われます。

一見、すごく恵まれた人生を送っている人がいるけど・・・と思うかもしれませんが、

それも平等なんですね。

この意味をずっと何年も考えていたのですが、

こうじゃないかな、と最近思えたことがあったのでシェアしたいと思いました。

真実かどうかは分かりません

まあ、興味のある方は読み進めていただけたらと思います。

人生には、時間軸と、もう一つ濃度というか、深度があると思うんです。

同じ一時間でも、濃厚な充実した時間を過ごすこともあるし、

のんびりとぼぅっと過ごす時間もありますよね。

あるいは、すごく悲しい出来事を経験することもあるし、

逆にとても喜びに満ちたしあわせな時を過ごすこともあります。

なにが、プラスマイナス0になるかというと、

時間軸で見た、見た目の華やかさや、もしかすると不幸そうな人生で、

プラスマイナスと言うのではなくて、

人生で起こる出来事の深さ、濃度が、表裏一体で存在しているということを言っているのではなかと思いました。

私の過去の経験ですべてを説明することができないかもしれませんが、

少しお話をさせてください。

エリザベス・キューブラー・ロスという方の、「死ぬ瞬間」という著作がありますが、

その中で、一番の悲しみの深い出来事として言われているものがあり、

それは ”身近な人の死” なのですが、

私はそれを体験したんですね。

その時は、2年くらいは毎日泣いていました。

あの頃のことはよく覚えていません。

音楽もまるっきり聞くことができなくなり、

なんとか人生を前向きに生きようとして、でもなかなかできなくて、もがいていたと思います。

今でも、私の中では、人生の中での一番の悲しい出来事です。

ある程度時間が癒してくれましたが、

それだけでは癒しきれなくて、

その時々で参加したワークショップや、ヒーリング、音楽、

その他いろんな経験が悲しみを和らげてくれていたように思います。

ほぼもうその過去に引きずられることはないと感じていましたが、

実は癒しきれていなかったことに、先日気づく機会がありました。

ある瞬間、突然気づいたんです。

身近な人の死に直面して、悲しい出来事としての記憶しかなかったのですが、

そこには、とても大きな愛があって、自分は愛されていて、

その出来事でしか獲得することができなかった強さを、自分は得たんだと思いました。

その人からも、自分の命を懸けて、心底愛されていたことも分かりました。

それが分かった瞬間、声をあげてただ泣くしかありませんでした。

過去の悲しい出来事でしかなかった思い出が、こうやって一気に逆転しました。

とても尊い経験だったと今は感じています。

あの出来事のマイナスイメージとプラスの部分が、

丁度釣り合いが取れて、自分の中でやっと消化できた気がします。



そうなんです。

同じ出来事で、プラスの面とマイナスの面があるということです。

それで、プラスマイナス0。



また、別の側面から説明してみると・・・

例えば、羽生結弦選手。

オリンピック金メダリストの彼は、とても美しい素晴らしい演技をして、

金メダルを獲得しましたが、

そこに至るまでは、私達の想像を超える練習や過程があったはずです。

見た目の華やかさだけが全てではない、ということです。

プラスマイナス0。


そう考えると・・・

人生を彩り豊かに、自分の可能性を最大限に生きたいと思うのなら、

必要な努力をすることは当たり前ですね。

そして、一見マイナスでネガティブな出来事が起こっても、

必ずプラスの側面もあるはずなので、

それを見つけるということが大切です。


宇宙の原理には、二極性が存在しますが、こういうところにも表れていますね。

あなたは、どんな人生を創造したいですか?

やりたいと思ったことを思いっきりしたいですか?

それとも、今までの日常生活を続けていきますか?

やりたいと思うことがあるのにやらないのは、自分を信じていないからだと思います。

自分の可能性を信じていない・・・

やらなければ、なにも始まらないんです。

自分の可能性を信じてやる

もし、失敗したとしても、失敗から学ぶことはとても多いし、貴重なんです。

そして、失敗したら、次に進めばいいだけの話

失敗しない無難な人生よりも、

やりたいことをやって、成功も失敗も沢山した方が、

楽しいと思うし、後悔はないと思います。

私も25年以上前に、大変な思いをしましたが、

後悔はしませんでした。

死ぬまで心の傷は癒えないだろうと思っていましたが、

こうやって無事に元気でやっています

大丈夫です、何とかなりますから


話を元に戻しますが、人生平等プラスマイナス0とは、

まだ、別の意味があるような気がしてきました。

もうしばらくこの課題は続きそうですね。

分かったらまた報告いたします




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前世の記憶

前世というものがあるというのなら、どんな前世だったのか知りたいと思ったことはありませんか?

世の中には、不思議な能力を持つ人がいて、実は私は見てもらったことがあります。

チベットの尼僧院にいたとか、オーストラリアのアボリジニだったとか、ネイティブアメリカン、マヤの神官、ドイツの有名な科学者のお隣さん、スイスの少年、、、

どれも、なんとなく興味があるポイントであったので、そうかもしれない・・・と思いはしましたが、

だからと言って、なにか現実が変わるかと言ったらそうでもなく、

前世について、あまりこだわりすぎると、今という現実に生きることを難しくしてしまうのかなと感じていました。


先日、ある友人が、前世について興味深い話を聞かせてくれました。

とあるセレモニーに参加していた時に、鏡に映る自分の顔を見た瞬間に、前世の自分の顔を見たというのです。

その顔は、自分であるはずなのに、今まで見たことがない自分で、

非の打ち所がないくらいにとても美しく、とても深い慈愛に満ちた女性で、

いつまでも見ていたいくらいに本当に魅力的な女性だったと言います。

おそらくその女性は、古代エジプトの女王で、

深い愛でエジプトの国を統治していましたが、どこかしらもの哀しげな表情は、

深い愛を持ってはいたけれど、強さが及ばず、志を断念せざる負えなかったようだといいます。

なので、次に生まれ変わった時には、何とかして強くなって、自分の使命を成し遂げたいと思った・・・

だから、現世では、小さい頃から苦労ばかりして、どうしてこんなことばかり、と思っていましたが、

自分自身が、強くなりたいと思って、小さいときからそういう人生を自分で計画して生まれてきた、というのが理解できたのだといいます。

それを理解したとき、今まで必死に乗り越えてきた、苦しかったこと、つらかったこと、悲しかったこと・・・が一瞬にして、癒されたとのこと。

涙がとめどなく流れてきて、どうしようもなかったと話してくれました。



そして、もう一つ、思い出した前世があり、

教会か、修道院かで、ひたすら平和を、毎日、一日中、祈っていたといいます。

なすすべもなく、ただ祈ることしかできなかった前世。

その時思ったのは、ただ祈っているだけではなく、なにか行動を起こして、現実を変えていきたいということ。

だから現世では、実際に行動を起こして、自分から変化を起こしていく、ということを強く思い、実際にそうやって生きているとのこと。

その記憶を思い出したときに、その時の悲しみがどっと押し寄せてきたけれど、

今は、実際に実行力を持って生きているので、前世の自分にもう大丈夫だと声をかけたら、とても深い部分が癒された感じがした、とのことでした。


人生とは、一見理不尽なこともよく起こってきます。

でも、この宇宙の法則は、因果応報で、原因があって結果があります。

つらい、苦しいと思っていることも、もしかしたら、この方のように、

なにか大切な理由があって、自分で決めてきたことなのかもしれません。

どんな理由にせよ、目の前に立ちふさがる問題が現れたら、

逃げることなく、対処していきたいものですね。

そうすることが、今生きている人生を悔いなく生きることにつながるのでしょう。


ちなみに、前世というのは、エマネーションという前世のように感じるものです。

一般に言われている前世はない、ということなのですが、

詳細は、アデプトプログラムで説明しています。

アデプトプログラムはこちらWhiteMoutnain



アデプトプログラム次回開催日 
 12月23日9時30分~16時30分
 12月24日9時~13時

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世界平和への道

もしかしたら、

もしかしたら、そうなのかもしれない。

私たち、みんなが共通で心の中にあること。

ある日、飛び込んで来た言葉。

「みんなの人生の目的は、世界平和」

そういえば、思い返してみると、

あんなこと、こんなことが思い出されるけど、

全て、「世界平和」に帰結するように思えて来た。

今年念頭に、

日本の神道では、もともと「世界平和」を謳っていると、

このブログに書いたが、

DNAの中に、やはりそういうものがあるように、私には思える。

多分、多くの場合、それは意識されていないのかなと思うが、

意識されていなくても、そういう方向性で、人は生きているように思える。

ただ、行動に移す直前に、

私たちの中で、

エゴが渦巻き、

感情が噴出して、

それをコントロールできないことがあったりすると、

おかしな行動になってしまうことがあるのだと思う。

そして、その結果を見て、私たちは苦しむのではないだろうか。

「世界平和」という目的のために、

私たちが生きているとしたら、

毎日、一瞬一瞬、自分たちのすることが、世界平和に向けての行動になる。

時に失敗することもあると思う。

でも、自分たちの向かっている、その先が、

世界平和であることに、一寸のブレもなければ、

きっといつか、その目的は達成できると思う。

世界平和を一人一人が意識して、

どんな小さなことでも、

そこに世界平和を自分なりに表現するならば、

日常が変化してくるのではないだろうか?

なんのために、人は生まれてくるのかという質問に、

誰かを幸せにするために生まれて来た、と答えている人がいたが、

これも、疑いようもなく、世界平和に向かっていると思う。

もしかしたら、あなたが何気なくしている行動は、

世界平和につながっているのかもしれません。

もし、そうならば、

そのことに自分自身で気づいて、

世界平和ということにもっとフォーカスすると、

今までにない、さらなる、展開が待っているかもしれません。

何が待っているのかは、やってみてのお楽しみ、ですね。


WhiteMountain