この社会で生きていくためには、うまく本音と建前を使い分けていく必要がある…
と、どこかで聞いたことがあり、
自分自身も、それをいつの間にか使い分けてきたと思う。
そうする理由は、いくつかあって、
人間関係において、波風立たないように、長い物に巻かれる感じで、
ただ立場が上の人、歳上の人に嫌われないように、
自分ではそうでないと思っていても、従ってきたことが多々あった。
つまりは、自分の本音を隠して、表面的に人に合わせてきた、ということ。
そこには、いい人でありたいという気持ちが潜んでいた。
あるいは、自分に自信がないということもあっただろう。
また、人と意見がぶつかり合い、ちょっとした口論となることを美徳としないという一面もあったように思う。
そうやって、自分の本当に思っていることを抑えて、人や環境に合わせ続けていると、
どうなるのだろうか?
いつも自分をごまかし続けた結果、
いつの間にか、本当は自分が何を欲していたのか、とか、
何を感じたのか、とか、わかりづらくなってしまっていた。
人生の大海原に出て、いざ何かを自由にやろうとしても、
自分を大切にしてこなかったので、
無意識のうちに、本当の自分が萎縮してしまっていて、
何から手をつけて、何をやったらいいのかが思いつかない。
大人になってから、自分はどんな仕事がしたいのかわからない、
と言う人がいるが、
それはまさしく、自分を抑制し続けてきた結果が招いた産物だと私は分析している。
また、これとよく似た感じで思うのは、
礼儀とか習慣を大切にする、ということ。
挨拶をする、とか、
きちんとお礼をする、とか。
一見いいことのように思われるが、
形だけになって、そこに気持ちが入っていなければ、
全くそれは意味をなさない。
そういうことをある時強く感じて、
一時、ちょっとやそっとでお礼を言わなかったり、
挨拶をしなかったりしたことがあった。
傍目に見ると、礼儀がなっていない風に見えていたかもしれないが、
気持ちがないのに、ただ表面的にいい風にとりつくっている自分を見るよりは、断然よかった。
そこには、本当の自分がいるから。
本当の自分で生きていくためには、周囲に融合せず、自分に正直に本音で生きることが大切だと思う。
そして、そうやったとしても、
意外と周囲の人間は受け入れてくれるものです。
そして、ハートが満たされて、心から感謝が出てきたら、
それを言葉にすればいいのです。
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ホワイト・マウンテン