昔から、よく言われていると言いますか、
まさに子供のころから、「感謝する」ということに関して、普通に教えられていると思います。
この「感謝」なのですが、私はやたらと多用して、なんでも無理して、感謝していたこともありました。
無理やり、そういう気持ちになったふりしていた感があります。
実感が伴っていなかったけど、そうあらねばならない、と思っていたふしがありました。
どうして、そんな不自然なことをしていたのでしょうね。
何事に対しても、「感謝しなくてはならない」、と自分に強制していたのでしょうね。
中身がないと、むなしいですね。
中身があるようにするためには、自分で感じるしかありません。
感じて、初めて、ありがたいとか、うれしいとか、そういう思いが出てきて、
「感謝」 に行きつくものではないかと思います。
言葉が先にありきで、先に「感謝」と言って、
あとで中身がついてくるようになることもあるのかもしれませんが・・・
今の私としては、自分に嘘はつきたくありませんので、
中身の伴わないことは、しないでおこうかと思っています。
もしかしたら、私はまだまだ相当器が小さいのかもしれません。
さて、本題に入ります。
最近、病院に通院していらっしゃる患者さまの変化を見て、驚いています。
その方は、意地悪な言い方をすると、とても批判精神のある方で、
ナースの行為一つ一つに、満足することなく、重箱の隅をつつくような印象がありました。
こちらとしては、最善を尽くしてやろうとしているのに、そうじゃない、違う、と言う。
そんなですから、お互いに受け入れる、という心の交流が生まれにくい。
だから、ほとんどのナースはその方のベッドサイドに近寄りたがらない。
苦しそうな方だな、と思っていました。
避けられているという雰囲気は、その方自身も感じていたと思います。
ところが最近、徐々にだと思いますが、
その方が「感謝」の気持ちを表現するようになってきたのです。
もちろん、今までも「ありがとう」という言葉はありましたが、
通り一辺といいますか、表面的でした。
その方に何があったのかは、まだ私の知る限りではありませんが、
この「感謝」の言葉とともに、その方の受け皿が広がり、
今まで、不協和音がほぼ全体を占めていた、その方を中心とした交流が、
スムーズに流れ始めたのが、わかったのです。
その方自身が、「感謝」の気持ちとともに、人を受け入れはじめ、
そうすることで、心の相互の交流が活性化して、大きく動き始めた・・・
おそらく、これからもっともっと、その方は変化していくのだろうと思います。
かたくなに人を受け入れようとしなかった方でしたが、人って変わるものですね。
きっと、人はいろんな可能性を秘めています。
たとえ今、どんなに悲惨な状況であったとしても、人は変われる。
今回、この方が私に見せてくれた 「感謝」 するという行為のパワー。
相手に対して、「感謝」 していますが、それは自分を大きくシフトさせた行為だと
私は思いました。
あなたは、何に感謝しますか?