“数学に得意な人が、人格に優れているわけではない”
先日、そんな張り紙を目にした。
多分、「数学」に特化したしたわけでもなく、
そこは、「英語」でも「国語」でも「体育」でもなんでもいいのだろう。
何か一芸に秀でている人が、人格もまたすぐれている、とは限らない、
という意味だと私は受け取った。
また、何の才能を持たない者の、才能ある人にたいする嫉妬心を感じなくもない。
学生の頃、同じような言葉を見たことがあり、
自分には得意なものはないから、せめて人格だけはまともでありたい、
と思ったのを思い出した。
苦笑いしてしまった。
結局のところ、才能も人格も両輪であり、どちらも大事にしていくことが必要なのだと思う。
ただ、昔と違って、今の私が思うには、
人は誰しも、ある種の特別な才能を持ち合わせていて、
それを自分で見つけて、磨いていく必要があるということ。
そしてまた、優れた人格とは、いったいどういうものか、
漠然としていて、必ずしも型にはまった言い方はできないのかなと思う。
ただ、世のため人のためにどれだけ日常的に思いを巡らし、
行動しているのか、ということだと思う。
しかし、それはもしかしたら、今までの概念を覆すこともあり、
すぐには大衆には受け入れられないものかもしれない。
一見、よく分からないものかもしれない。
でも、思うんですが、数学が得意、ということを見つけただけでも、
すごいと思うんですけどね、私。
この言葉は、その昔、得意なことがなかった私には、人格を磨けば(いい人になれば)、
とりあえず人並みになれる、という励ましの言葉でした💦