10代の頃、いじめのような状況に陥ったことがあった。
ことの発端は、
とってもお人好し過ぎて、一部の人から疎ましがられていた人を不憫に思って、
仲良くするようになってからだったと思う。
ある意味とばっちりである。
見て見ぬふりをして、何もしなければ、そんなことにはならなかったのだろうから。
でも、放ってはおけなかった。
悪いことをしていない人が、一方的に攻撃の的になるのは違うと思ったから。
攻撃の的が私になってから、苦悩は始まった。
3年くらいは続いたのではないだろうか。
一部の人から、攻撃されるようになると、
他の人からも同じように思われているような気がしてきて、
殻に閉じこもった。
教室では、人とめったに話をすることはなくなった。
あのころが一番孤独だったかもしれない。
両親と相談するような関係ではなかったし、
ましてや、先生に相談するようなオープンな性格ではなかった。
でも、たった一人だけ、私を理解してくれる人が現れた。
その人は、いつも一緒にいてくれた。
その人がいたから、あの時期を耐え忍ぶことができたのだと思う。
いじめは、悪だ。
人を追い詰める。
最悪の状況は、見ての通り、世の中のあちこちで起こっている。
そのニュースを見るたびに胸が痛む。
どうして、そんなことが起こるのだろうか?
ストレスのはけ口だったのだろうか?
人を否定して、自分を肯定したかったのだろうか?
子供の世界だけにあるわけでなく、大人の社会にもそれはある。
肉体に対する暴力は、もってのほかなのは周知の事実だが、
言葉での暴力も実は同じだ。
どちらも人に危害を与えるということで、同じエネルギーだから。
誰もが価値のある存在と理解することができる アデプトプログラム